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平成6年7月、左腸骨転移により骨折し疾病を主訴に来院した。経口モルヒネ60mg/日で疼痛コントロール可能となり退院したが、夫婦共に経口モルヒネ剤への不満・思い入れのため服薬しなくなった。このため意識混濁まで来して再び入院。放射線治療31Gyで車椅子移動が可能となったため、経口モルヒネ剤90mg/日服用を条件に外来治療としたが、平成7年5月20日を最後に来院しなくなった。
平成7年11月6日、疼痛増強のためるいそう著明となり在宅治療の依頼があった。「このままでは夫は死んでしまいます」
在宅緩和ケアの実際
初訪問時には診察さえも拒否されたが、塩酸モルヒネ持続皮下注を開始したところ劇的な変化を認めた。夫婦共に安眠が得られ、食欲亢進による体重増加、毎日好きなタバコを吸い、病状をも含めた家族的・社会的・個人的なことも話せる関係となることができた。初訪問以来4ヵ月半は良好な緩和ケアができ、苦痛なく迎えられた死期について患者・家族・医療・看護それぞれの立場でほぼ一致していた。
論点
?悪癖が出現してから死に至るまで22ヵ月の長期であり、その間2回にわたって、自らが緩和ケアを拒否したこと。
?平成7年11月6日以後はどうして緩和ケアが受け入れられることになったのか。
Andrew この患者さんはとてもいい緩和ケアを受けられたという印象を受けました。ただひとつ緩和ケアでは私の考えでは持続皮下というのは経口でモルヒネが投与できない場合に限ってのみ使われるべき経路であると思います。
発表者 私もそう考えています。最初に投与したのは経口モルヒネ、MSコンチン錠でしたが、ところがモルヒネであるということで飲まなくなったのです。
Andrew 患者さんは皮下注されているのはモルヒネであるということは知っていたのですか。
発表者 開始するときには説明しました。
武田 食べたくないというような人の胃腸は、薬もよく吸収しない。だからたとえ飲めても十分に活用しないかもしれないから、皮下注できちんと効くべきところに届けてあげる必要があるよという考えがあったのではではないかと思います。
〔症例6〕
苦しいのはなぜですか、と問い続けた患者に対する対応
ピースハウスホスピス市丸みどり
●Y.I.、53歳、男性、薬剤プロパー。同い年の妻と2人で子供はいない。3年前に胃癌で母親が死亡。胃癌。
現病歴
平成5年11月、某病院で胃癌の胃全摘出術を受ける(ステージ2、高分化型腺癌)。翌年6月頃より、腰痛が出現し始めた。
平成7年8月、倍大動脈リンパ節に再発し抗癌剤化学療法を受ける(無効)。12月、肝転移発見。平成8年3月27日ピースハウス入院となる。
入院後の経進入院時腹膜転移による腹部の緊張性膨満と肝腫大とイレウスがみられた。自覚的には味覚嗅覚の低下、食欲低下、全身倦怠、親指人1個の便秘、そしていちばん苦しいのは臍周辺の痛みであった。痛みに対してモルヒネ坐薬、内服筋注を投与すると9日目には変わって地下に引っ張られるような苦しみが出現した。2週目から持続皮下注射を開始したが、痛みがとれず、逆に強くなっていった。3週目には痛みはとれたが眠気と苦しいのがとれないといい、“死にたくない、それだけなんです”。以後苦しいのはなぜですか、と死亡する2日前まで医療者に問いかけ続けた。
武田 おっしゃる苦しみというのが皆さんによくわかっていないのかもしれません。人間は病気になったときに体の苦しみ、心の苦しみと、スピリチュアルな苦しみというのがあると思うのです、社会的な苦しみもあるかもしれません。
いまの病院では体の苦しみはかなりよくコントロールしてあげる、それから心あるナースと医師は心の支えも十分にする、この二つができすぎますと生き甲斐がなくなってしまうのです。

 

 

 

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